衝動のようにさえ行われる
すべての農業労働を
冷たく透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踊の範囲にまで高めよ
と詩に書いたのは宮沢賢治ですが、弁造さんの農業労働は本当に芸術の域に達していたかのようです。
そして若い時から絵が好きで農閑期には東京の美術学校に通い、絵描きになるのが夢だった弁造さん。人生の紆余曲折で一度はあきらめたものの、もう一度絵筆をとり始め、一生に一度は個展を開きたかった弁造さん。その夢を叶えてあげようと、弁造さんが残した沢山のエスキース(絵の下絵)を持って、奥山淳志さんは「弁造さんのエスキース展」のため、各地を東奔西走中です。仙台展もあと一カ月となりました。3月2日からエスキース展、最終日3月19日には奥山さんのトークショーがあります。
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