About Us

そこに行けば心を豊かにしてくれる空間、

お茶を飲んでいるとつい時間を忘れそうになって、

一人を楽しみたい人もおしゃべりを楽しみたい人も、みんなを楽しみたい人も、

それぞれがそれぞれに過ごすことのできるちょっとした隠れ家が、グラニーズです。

本と手作りと日々の暮らしを愛する女性のために!

2026年10月6日火曜日

野辺地

 私は青森県の野辺地というところで生まれ、高校は地元を離れましたが、中学校の卒業まで過ごしました。その最後の同期会というのが9月に開かれました。15歳で卒業した百名の紅顔可憐の少年少女たちは皆、77,78歳という齢になっています。

青森県は明治以前は東は南部藩、西は津軽藩に分かれていて、言葉や文化には大きな違いがあります。南部と津軽の境は野辺地からわずか数キロ西のところになります。戊辰戦争のとき南部は幕軍、津軽は官軍だったのですが、その最後の戦いの場所と言う史跡が残っています。野辺地は南部藩随一の北前船の港町であり昔は非常に栄えた所ですが、今は人口は僅か一万二千人、取り残された町と言って良いでしょう。東北新幹線が青森を通り北海道の函館まで行くようになってから、八戸と青森間を走っていた東北本線は青い森鉄道という第三セクターのローカル線になり、野辺地に行くには八戸で乗り換えなければなりません。あの恐山のある下北半島に行くには野辺地から乗り換えるのですが、野辺地からの線はまたJRというややこしさです。

烏帽子岳という山があり、昔最後に登ったのは中学時代の遠足のときだったと思いますがすべて徒歩で往復3,4時間かかった気がしますが、今は最後の険しい岩だらけの頂上近くまで車が入れるとのことで連れて行ってもらいました。頂上によじ登るにはそれなりに大変でしたが頑張った甲斐はあり、陸奥湾を一望する素晴らしい景色でした。

下北半島を臨みます。風力発電の風車が林立し、六ケ所の原燃も見えます。奥の方には太陽光発電のパネルが見渡す限り続いている旨、案内してくれたかつてのクラスメートが言っていました。はるか昔、下北を訪れた当時、列島改造論を打ち出していた田中角栄首相が小躍りして「理想的な場所だ」と叫んだとか。核のゴミ捨て場として、都会の人々の下支えにも甘んじる場所としてだろうと思います。さらにもっと昔、逆賊、

会津藩の人たちもここに流された歴史があります。

                  


奥羽山脈の方に目を向けるとこうです。野辺地検定という試験があって「烏帽子の頂上からは岩手山も見えるか?」という問題があるそうです。「見える」が正解らしいです。

                     


ガイドをしてくれた彼が集めてくれた山の幸。山ぶどう、ガマズミ、とちの実、栗、あけび。何よりのおみやげを大事に持ち帰り、焼酎に漬けたり、食したり。

楽しい野辺地での子供時代でした。









2026年9月30日水曜日

『ヘザリー ラークライズ最終章』完成

 イギリスの女性作家、フローラ・トンプソン(1876~1947)がローラという少女に仮託して描いた自伝的フィクションの『ラークライズからキャンドルフォードへ』という三部作の、イギリスではよく知られた作品があります。

第一部『ラークライズ』ではオクスフォード州の小さな村で生まれ小学校を終えるまでの子供時代、次の第二部『キャンドルフォード』では近くの少し大きな町に住む親戚や人々との交流、第三部『キャンドルフォード・グリーン』では教育を終え、郵便局を経営する女性を手伝いながら成長して行く十代のローラが描かれていて、19世紀後半ビクトリア朝の末期に生まれた少女の成長が、村の人々の暮らしの様子と共に生き生きと描かれています。

日本では朔北社から、第一部『ラークライズ」が2008年、第二部と三部が『キャンドルフォード』2021年に出版され、三部作全体が完結しています。しかし実は、作者が書いてはいたものの出版しないままになっていた幻の第四部とでも言うべき作品があり、それが今回ようやく『ヘザリー』というタイトルで本の形になりました。これまでの二冊もカバーにはクレイジーキルトの作品を使っていただいていましたが、今回もやはり5月に作ったクレイジーキルトを使っていただき、美しい装丁に仕上がったことはとてもうれしく思っています。(書店で平置きに並んでいれば本を探すお客様の目に止まると思うのですが、書棚に差し込まれてしまえば背文字しか見えなくて、それはちょっと残念です。)



三冊並ぶと我ながらきれいだなぁ、と自画自賛しています。


2026年5月12日火曜日

久しぶりのクレイジーキルト

連休が終わったら急に夏が来た感じです。このまま暑くなるのでしょうか?。

久しぶりにクレィジーキルトをしました。ブロックの布はぎそのものは20cm角位のものを10年以上も前に何かのチャレンジのために作ってあったのですが、そのまま使わずにしまい込んでいました。実際の色は写真よりも明るめできれいです。

   

それを連休中せっせと手元の材料を使って飾りつけて、最終的にはこんなふうに仕上げました。自分ではまあまあ、その気になればまだやれそうという気になり、材料の山をもう少しとっておくことにしましたが、問題は目ですね。細い針に細い糸を通すのはもう無理そうです。

          

ところでグラニーズの店は今、カフェは予約のみにして、あとは定期的な集まりのために場所を提供して来た方にお茶をいれて差上げる、あるいはお教室や展示会、ミニコンサートなどの集まりに会場として使って頂くというような使い方をしております。

2026年2月12日木曜日

グラニーズのチャリティ

2011年3月11日の東北大震災から今年は15年を迎えます。震災の頃、私は仙台でクレイジーキルトの教室を手芸好きな方たちと一緒に、ただ楽しみのために開いていました。幸いにも私たちの中には直接の大きな被害に会った人はいなかったのですが、津波に襲われた沿岸部の被災の大きさに愕然として、そんな時の常として何か自分たちに出来ることはないか考え、自分たちの拙い作品でも募金集めの一助になるならと、小物を作ってチャリティのバザーに出品することにしたのでした。

グラニーズがオープンしたのは2013年です。店の一角に常設のチャリティ販売のコーナーを設け、細々と作品を作り続け、少し収益がまとまればあしなが育英会の東日本大震災遺児支援募金に寄付してきました。

昨年末、あしなが育英会から大震災から15年を迎えるにあたって、当時幼かった遺児たちのほとんどが成人に達する年齢にも至ったので、支援活動は継続するけれども支援募金の受け付けは今年3月で終了することにしたとのお知らせが届きました。一区切りがついたということです。

それを受けて、グラニーズにあった最後のチャリティ売上金を寄付し、『仙台クレイジーキルターズ』のグループ名で続けてきた寄付にも一区切りをつけ、これまでの整理をしました。平成23年(2011年)から始めて、総額103万5470円になります。塵も積もればのたとえがありますが、それなりの額に達していたことに驚きました。私も細々と作品を作り続けましたが、寄付して下さった方もいらっしゃいます。何よりも拙い手作り品を買って下さった方たちがいたからこそ、これだけの寄付も出来たわけです。皆さまに心からの感謝です。

自然災害はなくなりません。しかも年々、激甚化しています。これからはどこと送り先は限定せず、その時々に僅かでも助けになるならと思う所に、手を差し伸べられたらと思います。