私は青森県の野辺地というところで生まれ、高校は地元を離れましたが、中学校の卒業まで過ごしました。その最後の同期会というのが9月に開かれました。15歳で卒業した百名の紅顔可憐の少年少女たちは皆、77,78歳という齢になっています。
青森県は明治以前は東は南部藩、西は津軽藩に分かれていて、言葉や文化には大きな違いがあります。南部と津軽の境は野辺地からわずか数キロ西のところになります。戊辰戦争のとき南部は幕軍、津軽は官軍だったのですが、その最後の戦いの場所と言う史跡が残っています。野辺地は南部藩随一の北前船の港町であり昔は非常に栄えた所ですが、今は人口は僅か一万二千人、取り残された町と言って良いでしょう。東北新幹線が青森を通り北海道の函館まで行くようになってから、八戸と青森間を走っていた東北本線は青い森鉄道という第三セクターのローカル線になり、野辺地に行くには八戸で乗り換えなければなりません。あの恐山のある下北半島に行くには野辺地から乗り換えるのですが、野辺地からの線はまたJRというややこしさです。
烏帽子岳という山があり、昔最後に登ったのは中学時代の遠足のときだったと思いますがすべて徒歩で往復3,4時間かかった気がしますが、今は最後の険しい岩だらけの頂上近くまで車が入れるとのことで連れて行ってもらいました。頂上によじ登るにはそれなりに大変でしたが頑張った甲斐はあり、陸奥湾を一望する素晴らしい景色でした。
下北半島を臨みます。風力発電の風車が林立し、六ケ所の原燃も見えます。奥の方には太陽光発電のパネルが見渡す限り続いている旨、案内してくれたかつてのクラスメートが言っていました。はるか昔、下北を訪れた当時、列島改造論を打ち出していた田中角栄首相が小躍りして「理想的な場所だ」と叫んだとか。核のゴミ捨て場として、都会の人々の下支えにも甘んじる場所としてだろうと思います。さらにもっと昔、逆賊、
会津藩の人たちもここに流された歴史があります。
奥羽山脈の方に目を向けるとこうです。野辺地検定という試験があって「烏帽子の頂上からは岩手山も見えるか?」という問題があるそうです。「見える」が正解らしいです。
ガイドをしてくれた彼が集めてくれた山の幸。山ぶどう、ガマズミ、とちの実、栗、あけび。何よりのおみやげを大事に持ち帰り、焼酎に漬けたり、食したり。
楽しい野辺地での子供時代でした。