ホールは満席でした。
たまたま先月の最後の週末、南三陸に行きました。海は穏やかで眺望は美しく水平線に朝日の上るのを見ました。語り部バスに乗って、避難所になっていた小学校の生徒たちが近くの高台に避難し、さらにわずかに高い隣の神社に逃げて助かり(水は鳥居まで来たそうです)、一晩卒業式のために練習していた歌を歌って、避難した人々と寒い夜を明かした話を聞きました。そのときの小学生たちが今は大学生になり、テレビの全国ニュースで故郷への思いを語っているのを見ました。
自分の身に起きたわけではない出来事についての人の記憶は薄れていきます。風化させない大切さを誰もが思いつつ、経験した人の必死な訴えもいつしか耳を素通りしてゆきます。原発がいつのまにか再稼働の方向に進んでいることに疑問を感じない人が増えてゆきます。私たちが遠くへ思いを馳せることができるとしたら、自分がそこにいたのだったらという想像力しかないのではないでしょうか?予想を超えた地震と津波と原発事故のトリプルの悲劇に見舞われた東北。そこにいなかったのはたまたま、日常を断ち切られずにすんだのはたまたまの幸運です。日本という地震列島に住んでいたら、どこにいても明日は我が身なのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿